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古代から江戸時代まで
流鏑馬 (やぶさめ)(馬の博物館所蔵)
日本人と馬との長い歴史
オオクニヌシノミコト(大国主命:出雲神話の中心的な神)に馬肉を献上したと古文書に記されているほか、大宝律令(701年)には、各地に「馬の牧(律令国家の管理していた牧場)」をおいたり、政府機関としての「馬医寮」を設置した記録が残っていることから、古代から国家的な規模で馬産行政が行われていたと推測されます。
戦国時代には、各地の領主がこぞって良駿(りょうしゅん:足の速い優れた馬のこと)の生産に努めていたらしく、宇治川の先陣、ヒヨドリ越えの坂落とし、木曽義仲や武田信玄の騎馬軍団の活躍など、多くの史実に良駿の活躍が記録されています。
鎖国政策当時の日本では、外国産馬による改良は考えられず、わずかに中国大陸、朝鮮半島、中東の各国から数頭の馬が貢ぎ物として献上された記録の他には、改良種馬が導入されたという記録はありません。
江戸時代には、馬の飼い方や調教方法を書いた大坪流の馬術書や、解馬新書などの、馬に関するいろいろな古文書が刊行されたり、沢山の民話・民謡などが生まれました。それらは今も日本在来馬に受け継がれています。
■わが国における馬産関連事項の変遷
年次 |
主要事項 |
595 |
聖徳太子が橘猪弼に「療馬の法」を学ばせる |
701 |
「馬医師」を置くことが大宝律令に規定されている |
905 |
「馬医寮」の設置が延喜式に規定されている 領主、大名による産馬改良(南部、三春、木曽、島原、鹿児島等現在の在来馬へ) |
1851 |
菊池宗太夫「解馬新書」を発刊 |
1854 |
イギリス公使館から装蹄学を学ぶ |
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