人間とくらす【馬と人との歴史】

競馬の国際化と強い馬づくり

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    第一回ジャパンカップ(国際招待レース)
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    ワールドジョッキーシリーズ

(写真はすべて:日本中央競馬会)


日本の閉鎖性が問題に

 全世界的な競馬の隆盛期を迎えたなかで、ボーダーレスの国際的意向を唱える各国からは、日本の競馬業界の閉鎖性が指摘されていました。例えば、外国籍の馬主は日本の競馬に出走させられないこと(馬主制度)、生産者の定義のあいまいさ、検疫制度や外国馬に対する出走制限などです。
 この指摘を受けたJRAは、1981年(昭和56年)に世界に通用する「強い馬づくり」をキャッチフレーズに、大々的なキャンペーンを張るとともに、この年にジャパンカップ(国際招待レース)を実施しました。その後は、JRAの組織改革や関係団体への積極的指導など、国際化を視野に入れた多角的な活動を展開しています。


わが国産馬の海外での活躍

 1998年、シーキングザパール号とタイキシャトル号の2頭の日本の競走馬が、フランスのモーリス・ド・ギース賞およびジャック・ル・マロワ賞(いずれもG1レース)で優勝しました。2頭ともアメリカ産のサラブレッドですが、馬主、調教師、騎手ともに日本人です。