畜産ZOO鑑
トップページへ

WWW 検索 zookan.lin.gr.jp 検索
よろず畜産
乳用牛 肉用牛 豚 鶏 馬 めん羊 山羊 特用家畜
スピード、スタミナ、もっているよ やさしく声をかける 人間とくらす 人と馬とが一体になる もっと、もっとなかよくなろう

馬トップ >> 人間とくらす >> 馬の歴史 >> 明治・大正時代から敗戦まで

人間とくらす  

蹄(ひづめ)はどうして1本なの?【馬のからだの進化】

人間との歴史【馬が家畜になるまで】

馬の歴史

大切な日本在来馬【在来馬品種】

世界の馬産業

馬よもやま話

明治・大正時代から敗戦まで

写真1
日本人が扱い易い多目的馬「日本釧路種」
写真2
わが国における馬飼養頭数の変遷

国家的施策として初めて取り上げられた馬政計画

 日清・日露の両戦争で初めて外国の改良種に対面した日本は、国内産馬が体格・資質の両面で改良種にはるかに劣っていることを痛感。そこで外国から改良種を導入し、国是として軍馬生産に取り組み(馬政計画1906年)、敗戦までに目を見張るような成果を挙げました。
 1935年(昭和10年)までの30カ年を区切って実施された第一次馬政計画では、サラブレッド、アラブ、アングロ・アラブ、アングロ・ノルマン、トロッター、ハックニー、ペルシュロンなど、当時世界に名を馳せていた改良種の種雄馬を輸入し、国内産の雌馬との交配による産馬改良が精力的に実行されました。

第一次馬政計画の輝かしい成果

 馬産地として北海道、東北、北関東、甲信越、九州・沖縄地方のほか、淡路、対馬などの島嶼(とうしょ)も加えた国家的・総合的な振興策が実施され、この指定は地域農業(とくに寒冷地に必須の有機質肥料である厩肥生産)の振興を考慮した、総合的な国家事業でした。
 ペルシュロン種とアングロ・ノルマン種との交配によって改良された体高約148cmの日本釧路種(青毛)と、奏上釧路種(鹿毛)は、日本人青年男子の体格とうまくバランスがとれた多目的馬として、世界の注目を集めました。しかし、これらの馬は戦後には需要が無くなり、1951年の一千頭共進会を最後に姿を消しました。

わが国における馬産関連事項の変遷
年次 主要事項
1872(明治5年) 千葉県三里塚に種馬所、種羊所(下総御料牧場)を設置
1873(   6年) 陸軍兵学校寮に「馬医生徒」15名を置き、フランス陸軍獣医の指導を受ける
1875(   8年) 札幌農学校(北大)で獣医学教育開始
1877(  10年) 駒場農学校(東大)で獣医学教育開始 陸軍馬医学会創立
1882(  15年) 陸軍獣医学会創立
1885(  18年) 大日本獣医会(日本獣医学会)創立
1887(  20年) 軍馬伝染病取扱規則制定
1890(  23年) 獣医免許規則、蹄鉄工免許規則制定
1896(  29年) 獣疫予防法制定
1897(  30年) 海港検疫開始
1900(  33年) 牛乳営業取締規則制定
1906(  39年) 第一次馬政計画発足(外国種の導入による改良)、馬政局設置
1916(大正 5年) 馬匹去勢法施行、畜産試験場設置
1921(  10年) 馬籍法制定、獣疫調査所(家畜衛生試験場)設置
1923(  12年) 競馬法制定(勝馬投票券発売)、帝国競馬協会創立
1924(  13年) 日本畜産学会創立
1932(昭和 7年) 日本釧路種成立
1936(  11年) 第二次馬政計画発足(生産地域の指定)
1937(  12年) 奏上釧路種成立
1943(  18年) 馬事研究所設置

©2005 Japan Livestock Industry Association All Rights Reserved.