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中国などから日本へ(山羊飼養の歴史)

トカラ種オス |

ザーネン種オス |
肉用山羊と乳用山羊の始まり
家畜化された当初、山羊は採肉用であったと推測されています。現在行われている搾乳をして乳を得るという形態は、歴史的にはずっと浅く、遊牧民によって始められたと考えられています。
15世紀以降に中国や朝鮮から日本に渡ってきた肉用山羊は、九州・沖縄地方で飼養されていました。比較的小柄なこの山羊の子孫は現在、沖縄在来山羊、トカラ山羊、屋久島山羊などと呼ばれています。
乳用山羊は、寛永年間にペリー提督が来日の際に飲用として持ち込んだものが始まりとされています。明治時代には主に、搾乳山羊業者などが輸入飼育を開始し、山羊乳の販売が行われました。明治末期になると、民間でも山羊飼育熱が高まり、政府の奨励策によって、スイスやイギリスなどからザーネン種が輸入され、より多くの乳を出す山羊への改良が進められました。
戦中、戦後の飼育ブーム
第二次世界大戦中は、山羊乳が農村部における貴重なタンパク源となり、山羊飼育が全国へと広まっていきました。戦後、食糧事情が極度に悪化した日本では、粗末なエサでも飼育できる山羊の乳が貴重なタンパク源としてさらに評価され、飼養頭数も昭和32年には66万9200頭(沖縄を除く)に達して、山羊飼育ブームへと発展しました。
しかし、食糧事情の好転や、労働力の都市部進出など、社会情勢が変化するにつれて、飼養頭数は徐々に減少し、平成12年の農林水産省畜産統計では2万1134頭(沖縄を含む)でした。その一方で最近では、食の多様化、農村部での高齢化問題、中山間地の有効利用などで山羊が見直されています。
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