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日本の酪農の歴史

写真1
明治時代、東京にあった牧場

乳の文化が日本に入ったのは6世紀頃

 乳の文化がアジアに持ち込まれたのは紀元前1600年頃のことで、アリアン人によってインドへ伝えられ、日本には6世紀頃に持ち込まれました。
 呉の国の帰化人・智聡は、高麗から手に入った医書により、牛乳は医薬としての効能があることを知りました。そして645年、智聡の子である福常は孝徳天皇に牛乳を献上し、「和薬使主」(やまとのくすしのおみ)の称号を賜りました。この頃から日本最古の乳製品である酪・蘇・醍醐(らく・そ・だいご:現在のヨーグルト・バター・チーズと推定されている)などの利用が始まりましたが、当初は食品としてではなく薬として利用していました。深い味わいや楽しさを表す「醍醐味」という言葉は、乳製品である醍醐の味わいから転じたものです。

 また徳川吉宗(1684-1751)の時代に、千葉県の牧場に入った白い印度牛から作った「白牛酪」は有名です。
 1856年下田に来日したアメリカ人のタウンゼント・ハリスは、幕府に「牛乳が欲しい」という嘆願書を提出しています。1863年に、前田米吉が横浜に日本で初めて牛乳搾乳所を開きました。そして第二次世界大戦後は、日本の食生活が欧風化され、米食からパン食(粉食)の比率が高まるにつれて酪農が飛躍的に発展しました。

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